内 容 : 「蘇我入鹿」~大化の改新で殺害された大悪人、実は超秀才
講 師 : 日本ペンクラブ 理事 岳 真也氏
実施日 : 平成30年4月18日 1:30~3:30
場 所 : 狭山元気プラザ 大会議室
出席者 : 受講生59名(受講生数62名)
◆ 小山学長の講師紹介
第1回の岳先生の講座は、小山市民大学学長による岳真也先生の紹介から始まりました。西武文理大学での出会いから、多数の著書、フランクな先生の人となり等が紹介されました。
◆ 蘇我入鹿は超秀才だった?!
今回の講座は、天皇家を凌ぐほどの権勢をほこり、中大兄皇子、中臣鎌足らに暗殺された蘇我入鹿についてでした。入鹿は猜疑心が強く、非道で横暴な稀代の悪人というのが通説ですが、実は超秀才であったという興味深い話です。
稲目、馬子、蝦夷、入鹿と続く蘇我家四代の話から、推古天皇、聖徳太子(厩戸皇子)、蘇我馬子の「三頭政治」、そして蘇我家の全盛時代へ。豪邸や大陵墓を築造する、勝手に大臣職を世襲する、さらには、皇位継承に際し聖徳太子の子である山背大兄皇子の一族を滅亡させるなど、非道の限りをつくしたとされる蘇我氏ですが、入鹿は国際政治・戦略の面でも抜群の才能の持ち主でした。一方中臣鎌足や中大兄皇子の方の背景を考えると、極悪人を成敗したという単純な話ではなく、それなりの策謀や野望があり、没落していく貴族と新興貴族との反目と嫉妬もあったのではないか、とも……。
諸説ある蘇我入鹿ですが、青少年期には僧・旻の学問堂「僧旻塾」で学び、超秀才ぶりを発揮していました。暗殺した側、藤原氏の歴史書にも入鹿が塾で一番優秀だったと書かれており、同級生の中臣鎌足の成績は入鹿に及ばなかったとか……。
これらの話は日本書紀等を主に、乏しい資料によって伝えられており、編纂に際し書き替えられていることが明確となったという説もあります。日本書紀以外の資料による多面的な検討が必要とのことでした
◆ 質問タイム
楽しく和やかな雰囲気の講義の後は質問タイム。「大和朝廷はどこにあったのか」「天皇に第〇代とつけてあるが、誰がつけたものか」「渡来人とは百済から来たのか、新羅からか」「中臣鎌足は滅亡した百済の豊璋王ではないか。歴史の中で途中出て来ない時期があるので」「いろいろな説があるが、よってたつ文献は?」等々、学長を始めたくさんの受講生から質問や意見が出されました。何を元にして諸説が出て来ているのかについては、書物も多くないこの時代、日本書紀が大元になってはいるものの、銘板や中国などの文献等を参考に、つじつまの合わない所はこうだろうと類推したのではないかとのお答えでした。
最後には講師の着ている和服についての質問も出、羽織を脱いで裏側の素晴らしい絵柄を見せていただきました。
◆ 受講生の感想
講義後の感想に「蘇我氏の通説と異説に興味を持ちました」「本当に〝目からウロコ″でした。日本史って本当に面白いのですネ」「人間の勢力図は昔も現代も似たようだというところ、想像力を刺激される」「次回はもっと勉強してきて、質問したい」等があり、岳先生の講義により受講生の日本史への興味関心が一層高まったことは間違いなさそうでした。