第2回 「清水冠者義高物語り」
日程: 4月24日(月)
講師: 狭山まちづくリストの会 吉岡勇三 様
会場: 狭山元気プラザ 大会議室
受講生: 出席27名
本日の講師吉岡勇三様は、平成24年度さやま市民大学の前身である狭山元気大学街活プロデューサー養成講座を受講し、市民団体を組織して狭山市の活性化に尽力されています。
講義の依頼は、狭山市内で義高に関連したイベント「義高の鯉のぼり」、「義高ウォーク」、「灯の川」などを実施していることと、昨年度狭山市が「『義仲・巴』広域連携推進会議」(北陸3県・長野県・埼玉県嵐山町など、狭山市が参加して41団体となる)に参加したことが理由です。市内の清水八幡神社に祀られている義高は義仲の子どもだからです。「『義仲・巴』広域連携推進会議」は観光推進やまちの活性化を目指してテレビドラマの誘致活動をしています。
清水冠者義高は父親義仲によって鎌倉幕府に人質として召し出され、頼朝と北条政子の娘大姫の許嫁となりました。頼朝は父親義仲を殺した後、つぎは義高を殺害すると決意しました。そのことを知った大姫と政子は義高を女装させて鎌倉を逃します。しかし、義高は入間川に達したときに追手の藤内光澄らによって誅殺されました。義高を哀れんで入間川の近くに清水八幡神社を創建しました。大姫は傷心のうちに20歳で亡っています。
800年以上前のことで、義高の母親は巴御前か、山吹御前かなど諸説あります。また、義高はどこまで逃げようとしたか、どうして入間川まで逃げ延びたか、なぜ捕まったのかなど、不明確な点に解釈を加えることによって悲恋な歴史に一層興味が募ると熱く語って頂きました。
なお、講義内容は冊子「語り継ぎたい狭山の魅力」としてまとめる予定です。