第7回 史跡・文化財めぐり「笹井・根岸地区」
実施日:平成28年11月17日(木) 8時25分集合~12時30分現地解散
天 候:晴 15度 風なし
地 区:笹井・根岸地区 コース距離 約5㎞
コース:狭山市駅西口広場→グリーンハイツバス停…笹井ダムサイト…笹井白鬚神社…宮地遺跡…瀧不動…宗源寺…水富公民館(休憩)…明光寺(現地解散)→社会福祉会館前バス停…瀧祇園遺跡…狭山市駅
参加者:髙橋先生 受講生22名 オブザーバー1名 スッタフ5名 狭山歴史ガイドの会8名 総勢37名
■笹井ダムサイト
・アケボノゾウの化石は昭和50年(1975)2月、埼玉県と狭山市・入間市で化石林調査の際に、笹井ダム上流約1kmの入間川左岸の東八木(ひがしばちぎ)で大臼歯(だいきゅうし)や肩甲骨(けんこうこつ)などが、1ヶ所に集中して発見されました。笹井出土アケボノゾウ骨格化石は平成15年(2003)3月18日、埼玉県指定文化財・天然記念物に指定されました。アケボノゾウの全身骨格標本は、市立博物館に展示してあります。
■笹井白鬚神社
・当神社の創建などについては、古い記録が失われているため分かりませんが、古くから笹井村の氏神として崇敬されてきたといわれています。
文明18年(1486)に聖護院第29世門跡道興准后(どうこうじゅごう)が関東方面を巡錫(じゅんしゃく)した際、当神社に参拝して御神木の銀杏を手植えされたという記録がありますので、それ以前に鎮座していたと思われます。
・ここで行なわれている笹井豊年足踊りは、昭和52年(1977)に狭山市指定文化財・無形文化財に指定されました。豊年足踊りは明治から大正にかけて、当地出身の桜井籐太郎が苦心を重ねて創作したものです。
当初は瞽女(ごぜ)の三味線に合わせて踊っていましたが、いつの頃からか笹井囃子に合わせて踊る今の形になりました。この踊りは演者が仰向けになって両足を高くあげ、左足にヒョットコの面と男物の衣装を着け、右足にオカメの面と女物の衣装を着けて、手に扇子や日傘を持ちさまざまな仕草を演じて見せる見事なものです。
笹井囃子は毎年笹井白鬚神社の元旦祭や春・秋の祭礼(4月・10月の月の中頃の土・日曜日)ほか宗源寺のお釈迦様の花まつりなどに奉納されています。
■宮地遺跡
・市内には現在67ヶ所の遺跡が確認されています。この宮地遺跡の規模は630m×280mで、昭和51年(1976)に埼玉県選定重要遺跡になりました。
この遺跡は昭和46年(1971)2月27日鍬入れ式を行い、発掘調査の結果、入間川流域では有数の縄文時代中期及び奈良・平安時代の大規模な集落遺跡で、埋蔵文化財が数多く所在していることが判明しました。
■瀧不動
・このお堂の不動明王は、入間川左岸の段丘から湧き出す水が、滝となって流れ落ちるところに祀られたところから滝不動と名づけられました。
本尊の不動明王は右手に宝剣、左手に羂索(けんさく)を持った舟形光背の浮彫立像で、創建は不明です。湧き水は1年中枯れません。
■宗源寺
・当寺は金井山(かないさん)宗源寺といい、宗派は曹洞宗で、本尊は木造宝冠釈迦如来坐像です。
創建は慶長年間(1596~1615)といわれ、慶安2年(1649)に3代将軍家光から寺領5石の朱印状を賜っています。
・本尊の木造宝冠釈迦如来坐像は昭和61年(1986)11月1日、狭山市指定文化財・彫刻に指定されました。釈迦如来坐像は、宝冠を戴き瓔珞(ようらく)と呼ばれる胸飾りを着けた菩薩形に造られています。また尊顔はほほ笑みを浮かべ、わずかですが口元から白い歯をのぞかせています。そのためこの仏像は微笑釈迦牟尼仏とか、歯仏ともいわれています。
■明光寺
・当寺は高竹山光明院明光寺といい、宗派は真言宗智山派です。本尊は木造地蔵菩薩坐像です。
寺伝によると、平安中期の応和2年(962)に明光上人が創建したとのことですが、「新編武蔵風土記稿」によると、創建は室町時代後半とも考えられます。
・紙本地蔵十王図付他二幅の図は昭和61年(1986)11月1日に狭山市指定文化財・絵画に指定されました。
地蔵十王図とは、地蔵菩薩の画と冥界で死者の生前の罪を裁く10人の王たちが一人ずつ描かれてセットになっている仏画です。普通地蔵十王図に脱衣婆(だつえば)の画が加わって12幅で一組になっているのですが、こちらはもう1枚修羅王が加わって都合13幅で一組になっています。
・参道の左右に建てられた2つの石仏は、「光明真言」を刻んだ経典読誦供養塔です。
光明真言は真言宗の大切なお経の1つで、休止符をいれた24文字の梵字(サンスクリット語)からなる短い経で、円形に刻まれて真下から時計回りに読みます。
・この前の道は国道407号の旧道ですが、江戸時代の日光脇街道跡で、日光火の番街道,千人同心街道とも呼ばれていました。
現在も豊水橋の手前から金井坂までの約500mが現存しています。この街道は根岸村を南北に通る街道で、江戸時代に八王子千人同心が日光東照宮の火の番御用のために整備された道です。
■瀧祇園遺跡
今回は解散後、入間川右岸(入間川2丁目霞野坂付近)にある瀧祇園遺跡の発掘調査を見学することができました。