二代目市川團十郎の日記から読み解く!(第2回)
享保期一大変換とは?
日 時:令和6年2月27日(火)13:30~15:00
場 所:狭山元気プラザ教室3
講 師:ビュールク トーヴェ・ヨハンナ先生
受講生:21名
講師プロフィール
ビュールク トーヴェ・ヨハンナ(BJÖERK, Tove Johanna)
埼玉大学人文社会科学研究科教授
フィンランドの大学卒業後、日本文化に傾倒し立教大学に留学
その後、埼玉大学で歌舞伎を通して多方面から江戸期の文化を研究している
①芝居茶屋と芝居町の関係 ②売春と飲食 ③芝居茶屋の営業戦略
第2回は、前回の振り返りから入りました、舞台装置(まわり舞台・奈落・せり・花道・すっぽん)が現在の歌舞伎にどのように活きているか、活かされているかを映像で確認しました。まわり舞台は世界で初めての技巧であり、せりは江戸時代から大胆な演出として行われていたとのこと。いずれにしても歌舞伎は赤字劇場であり、それを補う為には芝居茶屋が中心的な役割を果たしていたそうです。
歌舞伎興行と茶屋の始まり、そして茶屋のサービスに関して映像を使って説明がありました。劇場内の飲食については、今でいうスナック等を売る場所もあったそうです。そして、歌舞伎興行を恙なく続けていく最大のポイントともいえる①芝居茶屋と芝居町の関係 ②売春と飲食 ③芝居茶屋の営業戦略について教えていただきました。
あくまでも私感ですが、歌舞伎の歴史には、能・狂言の発生、発展に多大なる影響受けており欠かせないものだということを再認識し、これらは日本の演劇史の要であると痛感しました。
<受講生からの意見>
役者は、個人だったのか、ユニオンだったのか、役者の身分について、役者の結婚について、
以上の質問があったが、何れも明確な記録がないそうです。