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景観地50めぐり

景観地37 西浄寺

2015/08/09

甲子寺(きのえねでら)とも呼ばれた西浄寺

寺には墓地が付きものですが、この寺には墓地がほとんどありません。参拝者の祈りを受けるだけの「祈願寺」だということです。

創建は明らかでありませんが、「武蔵風土記稿」によると、延宝年間(1673年~1681年)のころには白玉山西浄寺と号したとの記載がありますので、延宝以前の創建だろうと推察されます。

現在は東京湯島の霊雲寺の末寺で、以前は、天台宗から元文元年(1740年)ごろ、真言宗に変わり、中興の開山は高健比丘です。本尊は、その高健比丘の持仏とされる大黒天立像です。

大黒天の遣いは、「ねずみ」であることから、干支の子(ね)にちなんで、別名「甲子寺(きのえねでら)」とも呼ばれ、江戸末期から大黒天の信仰が盛んになり、同寺も多くの甲子講を持って賑いました。
しかし、一時、無住になったこともあって下火になりましたが、現在の住職の努力で復活しつつあります。
甲子寺とも呼ばれた西浄寺
甲子寺とも呼ばれた西浄寺

境内に風土記稿にも書かれている見事な宝篋印塔が立ち、内陣に大黒天立像や高健比丘座像のほか、同寺の明治初期の住職「林法泉」は絵を描くことを好み、明治画壇の大家「河鍋暁斎」と親交がありました。その暁斎が西浄寺に招かれた際、描いた「ねずみの図」(狭山市指定文化財)が現在、狭山市立博物館に保管されています。
宝篋印塔
 
さやま市民大学ジャーナル学科1期生 花形 直平