景観地50めぐり
創建古く笹井の氏神様として崇敬されています
ここにも先の戦争の傷跡が生々しく残っています
終戦も間近かな昭和20年5月20日の夜、
編隊からはぐれたアメリカのB29爆撃機が水富笹井地区に焼夷弾5000発を捨てて去りました。
そのため多数の死者や負傷者が出て、多くの家屋が被災しました。
戦争の記憶をとどめようと、今も修理をせずにそのまま残しています
笹井の白髭神社も拝殿と社務所を焼失しました。幸い本殿と奏上門は破風(はふ)を焦がしただけで類焼を免れました。戦争の記憶をとどめようと、今も修理をせずにそのまま遺しています。
笹井村の氏神さまとして村人から崇拝されました
創建は古く、記録は失われて不明。
笹井村の氏神様として村人から崇敬されて今日にいたっています。
祭神は猿田比古命で、神話によると、ににぎのみことが天下りの際に先導した神だといわれています。
笹井豊年足踊りは市の文化財
この神社の名物はここで催される
笹井豊年足踊りで、昭和52年に狭山市の文化財に指定されました。
起源は明治から大正にかけて等地の桜井藤太郎氏が創作したもので、当初は鼓女(ごぜ)の三味線でしたが、今は笹井囃子に合わせて踊っています。
さやま市民大学ジャーナル学科1期生 花形 直平(スタッフ 葛西 治)